― シリーズ:老婆の道はすべてに通ず ―

老婆シリーズ作品では、「老い」という時間的経過がつくりだす「日常の反復」や、その反復が他者のまなざしを通過することで日常が非日常に見えてしまう「現実の反転」をテーマに制作しています。

 

このような「リアルな現実」と「虚構性」のパラドクスを、「老い」がもつ世界の存在感として描きだすことを試みているのです。つまり、「老い」を描くことは、「老い」を非日常と見続けてしまう我々の身体そのものに向きあうことだとも云えるのです。

 

このような「老いとは何か」をテーマに、自らの祖母の日常に視線をそそぎ、描いてきました。当時の私にとって、「老い」とは漠然と遠く、リアリティのない異世界として感じられていました。だからこそ執拗なほどに「老い」に畏敬と憧れをもって接してきました。私にはまだ実感することのできない「老い」という時間的経験は、世界を反転させるほどの鮮烈な意味をもったものではないかと考えています。肢体は衰え、顔はしわだらけになり、行為の速度が変わるという身体的変化は、世界の見方をも変えるきわめて大きな契機になると考えているからです。

 

たとえば、日常のなかで「老女」が彼女のルールによってくり返す‘彼女の現実’は、わたしを含めた他者にとって異質な‘非日常’に映ることがあります。彼女の日常の行為や言葉のくり返しは、「老女」にとってリアルな現実です。しかし、他者のまなざしに映る‘彼女の現実’は、リアリティを欠いた虚構へと変化していくことがあります。

 

このように、まなざす立場が異なることで‘彼女の現実’が他者にとっての非日常へと一転する。そこに「リアルな現実」の危うさを感じるのです。

 

『 うつつ〈と〉うつつでない夢 』

Is this a dream or reality?

『 わたし〈と〉わたしでないわたし 』

Myself and myself that is not myself

『ellipse‐focus』とは‘楕円の焦点’の意味である。

楕円は、2つの焦点からの距離の和が一定となる図形のことを云う。

 

これまで老女を描くことで〈老い〉について考えてきた。

しかし、老女の姿を描いたからといって〈老い〉という現象を描いたことになるのだろうかという疑問が残る。つまり、〈老人〉と〈老い〉は同意ではないということだ。

 

そこで、モノとしての〈老い〉からコトとしての〈老い〉へ移行を図ることで、老いの二重性という側面をとりだすことができるのではないかと考えている。〈老い〉は楕円と同じような2つの焦点をもつということである。

 

老いるコトには常に是非や虚実のイメージが伴う。〈老い〉から派生するイメージは2つの極をもち、その両極は互いを排斥しながらも同時に相互の意味を支える関係にある。〈老い〉は2つの焦点を往復することによって出現すると云えるのである。

 

両極から出現する楕円が皮膜のように〈老い〉をかたちづくる。2つの焦点をもった〈老い〉の構造を〈老人〉を描かずに描こうとするのである。

『 ellipse-focus ~ 皮膜としての老い ~ 』

ellipse-focus ~ Aging as a surface ~

The world consists of a set of many aspects. The world as we know it is not one of our senses of value. An ellipse consists of two fixed focus points. The world also consists of two focus points. We could think of life as being a locus on this ellipse.

『 老婆の休日 』

Roba holiday

『 移る身体〈と〉映る面影 』

The body changes as time passes.

Images reflect on our mind as time passes. .


「老婆は一日にして成らず」

Roba was not built in a day


「すべての道は老婆に通ず」

All roads lead to Roba.


「白日夢」

Dream in the daylight.