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つまり、わたしは 名もなき世界に居る

 

あゝもう、この言いようのない感覚をどう表現して良いのか。

もどかしくて、仕方がない日々です。

 

私が、今、出会っている人と人との関係性は、これまでに経験したことのないような感情や内面の動き、熱量を発生させています。

そのおかげで、自分が本当に向かいたいコトがどんどん明確化し、「やりたい!」という強い動機と原動力で、今までにないほどに動き出してしまっています。

数週間前、あんなに痛みと恐れでフリーズしてしまっていた状態が、何だったのだろうか?!と思うほど。えいや!と、大ジャンプをしてみると、あっさっりと軽やかに、より力強く何かに向かい始めている自分が、今、ここに居ます。

 

もっと、この経験を分かりやすくシェアしたいと書き出してみるものの、いつも抽象的な表現になってしまいます。どうしてだろうと考えると、私が今、経験していることは、既存の価値観、既存の社会システムの中では発生し得なかったことなので、当てはまる言語・単語がないのだということに気が付きました。

 

つまり、

いま、わたしは名もなき世界に居る。

 

と表現すると、とても詩的で美しいのですが(笑)

複雑に出来事は絡み合い、混沌としていて、瞬発的で、非論理的動機が強く、思考で把握することが出来ないということなのです。特に、思考は言語と深く結びついていて、言語表現の論理性や内容伝達の機能を使って表現しようとすると、溢れ落ちてしまうものがあり、その溢れ落ちたものこそが、今、私が感動とともに体感している世界の全体像なのです。(同じ地平で対話をしている人たちはこの状態を「カオスの縁(ふち)」と呼んでいます)

なので、ここは試しに、あえて詩的な文章表現をしてみようと思います。

詩は、行間に空気を含み、言葉という器に入りきらなかった空気の揺らぎを、単語と単語の間、文字と文字の間、音と音の間から、やわらかな揺らぎとして伝えてくれるので。

心が振れる感覚が、伝わればいいなと願って。

 

 

 

 

 

目の前に立ち現われた 名もなき世界

 

そこに集う人たちと交わす言葉は やわらかで あたたかで 

 

まるで その対話は全身を抱きしめるような

 

 

 

心の微細な機微は これまで 人知れず隠し続けてきたもの

 

繊細な命ともよべるもので これを表に出しては 壊されてしまうかもしれないと

 

いつもどこかで怯えてきた だから 奥底に心の繊細さを封印した

 

生き続けるために 自分を守るために 命を封印した

 

そうしているうちに 自分で自分の心の機微を見失った 命の行方を見失った

 

何か大切なものを失くしてしまったような感覚が 日々に横たわり

 

わたしは わたしを探し続けていた

 

「わたしは 本当はどうしたいの?」

 

自分で好きなことを選んだはずなのに 何かが満たされない

 

「わたしは 本当はどうなりたいの?」

 

その問いは わたし探しの迷路だった

 

 

 

 

名もなき世界は 迷路の出口かもしれないという希望

 

心が震える 胸が躍る 命がほとばしる…どの言葉がしっくりくるのだろう

 

封印したはずの 心の機微が 激しく動いている

 

「わたしは ここに居るよ」と 泣いている 泣いている

 

久方ぶりに声をあげた 私の命は

 

今 表に向かって何かを示そうとしている