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「働く」って、泣けるほど奥深い。私が居て、あなたが居る。

 

「私がこの世界で表現したいものは、何だろう」

「私が、この世界に命として生まれ落ちて、この世界で体験したいことは何だったのだろう」

 

今、私自身に問いかけています。

 

この人生への究極的な問いを、この1年ほどじっくりと考えてきました。

それは、自分がこの社会との関わりのなかで、どう生きていきたいのか?を考えることであり、私にとっては「仕事の在り方」「暮らしの在り方」を見直す時間となりました。

私としては、暮らしと仕事を両立させるために、あらたに新規事業を立ち上げるためのプロセスとして動き出しているのですが…その奥深さたるや、なんてこった!!です 笑

 

その道のりはすんなりと「はい、コレ!」と明快なものではなく。クールに「ビジネスするのだ~」と軽快に語れるようなものではなく。

まるで、泥の池に飛び込むような作業です。

 

私は「仕事は、社会のなかで自らを表現すること」という哲学(祈りのような)を持っています。

その意識で、自らのアートワークはもちろん、デザインワークやアートセラピーのセッションを通じてクライアントの方々の自己表現を引き出すお手伝いをしてきました。そう、これまでも、私なりに情熱をもって精一杯の「自己表現」で仕事をしてきました。

けれど、これまの仕事では納まりきらない「想い」というのがあるのです。

 

そして、今、私のなかには、これまでにないほど、その「伝えたい想い」が溢れんばかりに強く湧き上がってきています。その「伝えたい想い」をどのようなカタチで表現していけば良いのか。ただ、その情熱に突き動かされるようにして、日々を模索しています。

これまでとは異なる仕事のカタチなのか、同じフィールドにも乗せられるのか…様々な可能性を検討しています。検討すればするほど、自分でよく分からなくなっているのですが^^;そんなタイミングで、「協力してもいいよ~」と言ってくださる方々が現れて、今、協働しながら、私のなかに在る情熱を具現化するために、まさに動き出そう!としているところです。そう、今日も宿題として出された問いに向き合っていました。

 

「私が、これだけは譲れないと思うことは何?」

 

「働くこと」を追究していくと、自分自身に向き合うことになるわけです。

この究極的な問いは、私の感情を煽り、追い込むような出来事も多々直面させます。

自分の弱さや卑屈さ、自信の無さ、失敗した経験、劣等感…といった、伏せておきたかった感情に向き合う必要が出てきてしまうわけです。そこまで行かなくてもほどほどの働き方というのもあると思うし、あっていいと思うのです。が、私はついついそこまで深堀してしまった(笑)まさに、直面しています、今ね。

詳細は長くなるので(笑)今回は書きませんが。こうした、自分との深淵な向き合いをしてみて、あらためて気が付くのは…。

 

自分の弱さ、卑屈さ、自信の無さ、失敗、劣等感…が、なぜ発生したのか?を観察していくと、そのネガティブな感情の裏に、自分の宝物が隠されているということに驚いてしまうのです。ある意味、ネガティブな感情が、宝物のような「自分の大切にしたい想い」を守るために覆いかぶさってくれていたのだと…泣けちゃうほど、感動するほど、それは「愛」なわけです。

 

そして、その宝物は「私にとっての宝物」。

さらに、私が大事にしたいものは、他の誰かも大事にしたいと思うもの「みんなの宝物」と繋がっている。

 

私の「超個人的な感情、感覚」を突き詰めて観ていくと、それは、「人類の普遍性」に繋がっている!そんな、地層があったことに驚きながら、体感し探索中です。

 

まだまだ、ごちゃ混ぜの状態ではありますが、丁寧にゆっくり「宝物」を発掘したいと思います。

 

「働く」って、泣けるほど奥深い。

世の中で、様々な想いをもって働くすべての人たちへ、尊敬の念が溢れています。

私が居て、あなたが居る。

繋がっている。繋がるために、仕事があるんだ。

 

それを伝えたくて、今日は綴りました。